【安来のヒーロー】七難八苦にも屈しなかった山中鹿之助のエピソードを紹介!

エンタメ

こんにちは。

今回は、月山富田城にゆかりの深い人物である山中鹿之助のエピソードを紹介します。

仕事や人生で壁にぶつかったとき、あなたならどう振る舞いますか?

多くの人が「少しでも楽な道を」と願うなか、あえて「もっと苦労をさせてほしい」と願うような規格外の男がいました。

それが安来で今も愛されるヒーロー、山中鹿之助やまなかしかのすけです。

主君である尼子氏の再興に生涯を捧げた鹿之助は、戦国時代屈指の「不屈の武将」として知られています。

今回は鹿之助の定番エピソードを紹介しながら、彼が現代まで語り継がれる理由を紐解いていきます。

山中鹿之助のエピソード

こんかい紹介するエピソードはこちらです。

  • 代名詞のエピソード 三日月の祈り
  • 味方のテンションぶち上げ!川中島の一騎打ち
  • 戦へ臨む人への助言

順番に見ていきましょう。

代名詞のエピソード 三日月の祈り

山中鹿之助と言えば、まず浮かんでくるのがこのエピソードです。

生涯を通じて苦難の多かった(というか、自分の想定通りになったことの方が少ないかも)鹿之助ですが、普通は諦めてしまうようなところをむしろ

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った、という逸話です。

大願を果たすためなら、どんな苦難でも乗り越えてみせる!という決意の表れで、第2次大戦前には教科書にも取り上げられていたようです。

現在も月山富田城の太鼓壇と呼ばれる場所には、手を合わせて祈る姿の山中鹿之助像が建っています。

自分がどんなに苦しくても曲げなかった主君への厚い忠義と、それでも夢かなわず散ってしまったその後の悲劇性も相まっていまだに多くの人の心を惹きつけます。

目標達成のために前を向き続ける強い覚悟、我々も見習いたいものですね。

山中鹿之助が経験した苦難

  • 20代のときに月山富田城が毛利に降伏、主君を失い浪人になる
  • 尼子氏再興を目指して挙兵し、毛利に戦いを挑むも敗北
  • 織田信長を頼り、援軍が来る想定で再び毛利に戦いを挑むも、援軍が打ち切られ孤立
  • なんとか主君だけは助けてくれないかと懇願するも断られ、主君は切腹
  • 鹿之助を脅威に感じた敵将の策略により、暗殺される

味方のテンションぶち上げ!川中島の一騎打ち

「悲運の武将」とも言われる山中鹿之助ですが、その武勇は相当なものだったようで、

生涯で少なくとも65人以上の敵を討ち取っています。

一騎打ちも幾度となく経験していたようですが、中でも品川大膳しながわだいぜんとの一騎打ちが有名です。

月山富田城を攻める毛利軍の1人だった大膳は、当時すでに強いと有名だった鹿之助を倒し、自分の名前を知らしめようと考えていました。

一騎打ちの前には名前を「棫木狼介たらぎおおかみのすけ」と改名するほど、鹿之助からの勝利を熱望していたようです。

(棫の木から新芽が出る時期に鹿の角が生え変わること、狼が鹿を餌とする捕食者であることをかけた名前といわれています)

両軍が見守る中、富田川の川中島で2時間余りにわたって激闘を繰り広げ、鹿之助が大膳を討ち取った際、

石見いわみより出た狼を、出雲の鹿が討ち取ったり!」と叫び、尼子軍の士気は大いに高まったといいます。

鹿之助というとどうしても負け戦が続いたイメージがありますが、

この一騎打ちの逸話などは、THE 戦国時代のヒーローといった感じの華々しいエピソードですね。

この腕っぷしの強さも、今なお愛される理由の1つと言えるでしょう。

戦へ臨む人への助言

武勇に優れていた鹿之助は、合戦へ臨む人へ助言したエピソードが伝わっています。

今回は2つほど紹介します。

明智光秀の家臣が、戦で名を上げる方法を鹿之助に尋ねると、こう答えたそうです。

「合戦の前には必ず目が見えなくなるものだ。心得ておかれよ」

その時は言われた家臣も「ふーん」、ぐらいにしか思っていませんでしたが、いざ朝露のせいで物の色の区別もつかない戦場に立った時、鹿之助の言葉が頭をよぎりました。

「ここで目が見えないのは自分が気おくれしているからなのだろう」と心を落ち着けてから目を開くと、どういう訳かはっきりと見えるようになり、見事敵の首をとって武功を挙げたそうです。

ある日、初めての戦を終えた2人の若者が、鹿之助に話しかけました。

ひとりは「敵に向かうと震えてきて、しっかり敵を見ることもできず、討ち取った敵がどんな鎧をつけていたかも覚えていません」と言いました。

もうひとりは「自分は敵がどんな鎧を着て、どんな馬に乗り、どこで組み合ったかも鮮明に覚えています」と言いました。

2人の若者が去った後、鹿之助はそばにいた人にこう言いました。

「最初の若者は立派で勇敢な武士になるだろう。後の若者はもしかすると、他人の手柄を自分の手柄としたのではないだろうか。さもなくば次の戦で討たれてしまうだろう」

後日、2人の若者の命運は鹿之助の言葉通りになったそうです。

自分自身が多くの戦を経験してきたからこそ、手柄を挙げるための実用的な心構えが助言できたのでしょうね。

このようなただの脳筋パワープレイだけではない、知的な一面も併せ持つのもまた、山中鹿之助の魅力と言えます。

まとめ

今回は、「山陰の麒麟児」とも称される山中鹿之助のエピソードについて紹介しました。

主家再興という大きな夢を追いかけ、三日月に不屈を誓ったという彼の足跡は、今も安来に残る月山富田城で感じることができます。

現地で彼が見上げたであろう三日月を見れば、自分が抱えている困難ももうちょっと頑張ってみようかなという気持ちが湧いてくることでしょう。

「どんなに困難な状況でも、志を忘れず前を向く」

そんな鹿之助の精神を、日々の暮らしにも少しだけ取り入れてみたいものですね。

それではまた別の記事でお会いしましょう。

合わせて尼子経久のエピソードはいかがですか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました