こんにちは。
今回は、足立美術館の創設者である足立全康氏のエピソードをまとめます。
安来市が世界に誇るコンテンツである足立美術館。米国の専門誌で20年以上にわたり「日本一の庭園」に選ばれ続けているその美しさは、人々の心を惹きつけて止みません。
しかし、その美しさの裏側には創設者・足立全康氏の「狂気」とも呼べるほどの執念があったことをご存知でしょうか?
「庭園もまた一幅の絵画である」
その信念を貫くため、全康氏は山を切り開き、建物の壁をぶち抜き、周囲に反対されようとも自分の理想を追い求めました。
今回の記事では、足立美術館を語るうえで欠かせない全康氏の驚愕エピソードをご紹介します。さらに、彼が晩年描いていた「壮大な夢」についても、著書から紐解いていきます。
この記事を読んでから美術館を訪れれば、庭園の景色をより深く楽しめることでしょう。
本記事では、以下を参考にさせていただきました。
足立全康の驚愕エピソード3選
今回紹介するエピソードは、この3つです。
個人的な感覚ですが、それぞれのエピソードのヤバさ(執念度)をレベル分けしてみました。
- 【ヤバさ:★★★☆☆】社員旅行を中断し松の大捜索
- 【ヤバさ:★★★★☆】借景の山を切り開き人口の滝を開瀑
- 【ヤバさ:★★★★★】自ら金槌を振るい床の間の壁をぶち抜く
さっそくそれぞれのエピソードを見ていきましょう。
【ヤバさ:★★★☆☆】社員旅行を中断し松の大捜索
今でこそ庭園が有名な足立美術館ですが、開館当初は芝生を敷き詰めただけの簡素なものでした。増築に合わせて現在のような日本庭園が造られたのですが、その際のエピソードです。
昭和47年7月の庭園完成を目指しもうあと半月ほどとなった6月中旬、当時全康氏が経営していた会社の社員旅行が行われました。行き先は能登半島の和倉温泉。
道中、気心の知れた社員たちとワイワイしていたものの、頭の片隅にはいつも庭園のことがあり、のんびり旅行気分にはなれなかったようです。
乗っていた汽車が北陸本線から七尾線に入り、車窓から日本海が見えてきたとき急に視界が開けて半島の稜線に沿った赤松の並木が見えてきました。
それを見た途端、全康氏は無性にこの松が欲しくなりました。完成間近の庭に植えればさぞ引き立つことだろうと思ったからです。
全康氏は思ったことをすぐに行動に移したい性分で、この時も居ても立っても居られず「自分だけででもさっきの松を買いに行く」と言い出します。
結局次の駅で社員全員が降り、総出で松の大捜索をすることに。土地勘がないところで飛び込みの捜索はかなり苦労したようですが、日がな一日探して、ようやく目的の赤松を購入することができました。
これが縁となりこの後数回に分けて数百本もの松を能登に購入しに出向き、現在足立美術館の庭園にある約800本の赤松はすべて能登産が植わっているそうです。
【ヤバさ:★★★★☆】借景の山を切り開き人口の滝を開瀑
足立美術館の庭園は、美術館の敷地内だけでなく敷地外の風景も庭園と溶け込ませて奥行きを出す「借景」という手法が取り入れられています。
昭和53年のある五月晴れの朝、全康氏が日課としていた庭のチェック時に借景としていた山に目が留まりました。
その瞬間、岩肌に滝が落下するシーンが頭に浮かんだと言います。緑があふれる庭園に水の動きがあれば、風景がより引き立つと思ったのです。
ここでも思い立ったら即行動の全康氏は、さっそく山の所有者に理解と協力を仰ぎ、開館8周年となる昭和53年11月に人口の滝である「亀鶴の滝」が開瀑したのです。
しかも、この借景部分。日常の景色でいつも目にする「あるもの」がないのに気が付きませんか?
そう、電柱です。借景にあたって周辺の電柱は景観の邪魔になるということで、地元の電力会社:中国電力と交渉し、地中に埋めるという特別な措置が取られています。

山の形を変え、大企業までも動かす庭園への徹底したこだわり。まさに執念ですね。
亀鶴の滝については、公式HPにも紹介があります。
【ヤバさ:★★★★★】自ら金槌を振るい床の間の壁をぶち抜く
足立美術館の名物となっている「生の掛軸」という仕掛けがあります。
床の間の壁を庭園が見えるように長方形にくりぬくことで、あたかも掛け軸となったように見えるというものです。
最後はこの「生の掛軸」誕生に関するエピソードです。
実は「生の掛軸」のアイデアは全康氏自身のものではなく、師と仰ぐ人物から提案されたものだったのですが、それは面白いとさっそく美術館の職員に伝えると全員が全員猛反対したのです。
床の間に穴を開けるなんて、常識では考えられない行動です。職員ばかりでなく工事を担当する大工さんにも「できない相談」と一蹴されてしまいました。
普通ならこれだけの反対にあえば、自分が間違っていたと考えを引っ込めそうなものですが、われらが全康氏は違います。
話してダメなら強行突破。ということで自ら金槌をもって床の間に立ち、「それじゃ、ワシひとりでやる」と言って本当に壁をぶち抜いてしまったのです。
抜いてしまった壁は取り返しがつかないので、それまで頑として反対していた大工さんが大急ぎで形を整えて完成に至ったようです。

スケールでいえば亀鶴の滝のエピソードが強いですが、周囲の反対を押し切ってでも自分の理想を追い求めた「執念度(≒ヤバさ)」はぶっちぎり1位のエピソードではないでしょうか。
これがきっかけとなって、美術館には「生の額絵」も生まれ、
「庭園もまた一幅の絵画である」という全康氏の信念を体現する足立美術館の名物となっています。
あの仕掛けの裏にこんなエピソードがあったことを知ると、見え方も変わってくる気がしませんか?
全康氏が晩年に描いた「未完の夢」
ここからは、波乱万丈あって足立美術館を完成させたのち、晩年の全康氏が描いていた壮大な夢を紹介します。
- 月山富田城の復元
- 人口の湖と島をつくり、そこに現代美術館を設立する
- 東出雲・野呂山に国際会議場を建設する
月山富田城の復元
足立美術館のほど近くにある名城、月山富田城を復元し、天守閣の中に分室として中・近代美術館をつくろうと計画していました。
さらに周辺に梅の木を植えて広瀬の町をアピールしてはどうかというアイデアもあったようです。
「在りし日の城の姿が見られる」というのは、ロマンがある話ではありますが、現実問題として城跡は国の史跡に指定されており、法規上建築物には厳しい制限があります。
史跡解除を依頼している、と書籍には書かれていましたが、こちらも実現しないままになっています。
人口の湖と島をつくり、そこに現代美術館を設立する
亀鶴の滝のもっともっとスケールアップしたような壮大な計画です。
さぎの湯温泉から安来の方角へ300mほどの範囲に人口の湖と島をつくり、島には迎賓館をたてるというものです。
さらに、将来ヘリコプターでの移動が当たり前になる世の中になるという予測から、ヘリポートをつくり、湖のほとりにはホテルを建てて来館者が美術館で1日ゆっくり過ごせるようにしようとしていました。
東出雲・野呂山に国際会議場を建設する
こちらも美術館の近くにある野呂山にサミットなどを行えるような国際会議場をつくろうというものです。
全康氏いわく、出雲の地こそ外国の人に喜んでもらえる条件を備えていると語ります。
- 風光明媚
- 飛行機を使えば羽田から1時間半程度という交通の便
- 山陰を代表する観光地や温泉が豊富
- 人類が忘れてはならない広島の奥座敷にある
- 足立美術館があり日本文化を楽しめる
などなど、このような条件を備えていることから、国際会議場をつくるにふさわしいと考えていました。

どの計画も実現していたらと思うとワクワクしてきますよね!
以上が、晩年の全康氏が描いていた夢です。
書籍刊行当時90歳も超えていたはずですが、いつまでも夢を追い求める少年のような心の持ち主だったのでしょうね。
まとめ
今回は、足立美術館の創設者・足立全康氏の破天荒すぎるエピソードと晩年に描いていた壮大な夢についてまとめました。
全康氏が庭園に捧げた執念を知ると、庭園の中の何気ない1本の松にさえ彼の情熱がこもっているような気がしませんか?
彼にとって美術館はゴールではなく、「故郷を世界に誇れる場所にしたい」という大きな夢の通過点だったのかもしれません。月山富田城の再建や現代美術館の構想など、彼が描きつつも叶わなかった「未完の夢」にも思いを馳せながら庭園を眺めると、また違った感慨がこみ上げます。
これから足立美術館を訪れる方は、全康氏の信念が息づく庭園をぜひ細部までじっくり楽しんでみてください。すでに行ったことがあるという方も、再訪してみるとまた違った景色で庭園があなたを迎えてくれるはずです。
本記事では以下を参考にしました。今回の内容以外にも全康氏の生い立ちや人物像まで垣間見える内容となっています。より美術館を深く楽しみたい方はぜひチェックしてみてください!
それではまた別の記事でお会いしましょう。
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